もっと「テーマ」から自由になってほしかったかな、『シン・ウルトラマン』は(ネタバレあり) [映画感想・実況]
どうも。
アニメでは「監督がいて総監督がいる」って普通ですが、ファンでも案外、その役割分担の詳細は分からないところだと思います。ぼくも含めて。
前に実写系の某監督が、アニメ作品で監督と総監督がいる不思議をツイートしていましたが、「船頭多くして船山に登る」のことわざもある通り、ある意味もっともな意見でしょう。
『シン・ウルトラマン』ではついに「准監督」「副監督」「監督補」と細分化されていました。「准監督」なんて初めて聞いたわ。
庵野さんが企画・脚本をはじめ・あちらこちらでクレジットされているとはいえ、監督は樋口さんだし、「シン・ウルトラマン=庵野作品」の視点は持たないで語ります。
『シン・ゴジラ』との比較はする。冒頭にタイトル出てたしいいよね。
そもそも「ウルトラマン」シリーズへの想いで評価が変わる
公開から1週間たって、ネットでは賛否両論の感想が溢れています。
その根本って、「感想を言っている人の・ウルトラシリーズへの評価」に直結しているように見えるんですよね。
「『シン・ウルトラマン』は映像がしょぼい」系の意見もありますが、ぼくは「え、ウルトラマンって(映画とは言え)そんなもんじゃないの?」と感じています。
ぼくは子どもの頃に初代~レオまでの再放送をチョロチョロ見ていて、その後のシリーズはいっさい見ていません。
『80』や『ザ・ウルトラマン』は見ていたはずだけれど、全く覚えていないな…
だから昔のイメージなので、もともと『シン・ウルトラマン』に「迫力ある映像」とかにはあまり期待していなかったし、むしろどこかチープさを望んでいたようにさえ思う。
だからわざとだろうけれど、ちょっとチャちい飛行シーンも良かったし、人形のようにウルトラマンがクルクル回る戦闘シーンは面白かった。
長澤まさみさんが偽ウルトラマンに空中に放り出されて・顔がアップになるシーンも、昔っぽくて良かったですよ。
ウルトラマンほど昔じゃないけれど、『ダイハード』思い出しちゃった。
巨大長澤まさみさんは、家で見ていたら声出して笑っていたと思う
顔のアップが多用されるカメラアングルは、「特に女優さんは嫌じゃないかなー」と思うくらいで、効果の有無は不明でしたね。
で、長澤まさみさんが巨大化するシーンは、笑いそうになってしまいました。特にビルを破壊した時。
TV版でフジ隊員が巨大化したのはもちろん知っていましたが、スクリーンで見たせいか印象が全く違って、「美人がビル並にデカくなるって・バカ絵で面白いな」と。
ちなみに妻は全く『シン・ウルトラマン』に興味を持っていなかったのですが、「長澤まさみが巨大化してビルを破壊していたよ」と伝えたら、「ちょっと見たくなってきたな」と興味を持っていました。
ウルトラマンって、高尚な作品ではなくて、こういうもんじゃなかったっけ?
真剣にやっているけれど、どこか画面にユーモラスがあって(ほら、それぞれの「ウルトラシリーズ像」が出る)。
序盤、戦闘中なのに神永(「永」遠の「神」!)がいなくてもあまり問題にしていないシーンがあるでしょ。
そのちょっと間抜けなところも、お約束と言うか、ウルトラマンじゃん、と。
人間だけですでにカイジュウを撃退しているオープニングが良かった
まあビックリして、そして「良い!」と思ったのは、導入ですよね。
ウルトラマンいないのに、すでにカイジュウを撃退しているんだ! っていうね。人間やるじゃん! と。
まあその後、ウルトラマン頼みになる→人間自立の伏線なんだけれどね。
だから最初に、(ウルトラマンが出ない)『ウルトラQ』の音楽が使われているのも良かったです。
そういや音楽と言えばさあ。
ワンダバは欲しかったなー。あと『シン』シリーズなんだから、『シン・ゴジラ』でも使われていた、エヴァの音楽流してほしかった。
ダン、ダン、ダン、ダンダン、ってやつ(『DECISIVE BATTLE』ね)。
あの曲、盛り上がるじゃん。ああ、ゴジラに続いて、ウルトラマンもシンに浸食されている……と。
『シン・ウルトラマン』が『シン・ゴジラ』より劣る点
『シン・ゴジラ』はさあ。
「ゴジラを倒す」一点に集中しているじゃん。ほとんどドラマもなしに、最初から最後まで・ただただ「どのようにゴジラを倒すか」に焦点が当てられている。
だから観客もエンタメ的視点に徹していられる。
でも『シン・ウルトラマン』はまずウルトラマン登場があって、ザラブ星人が出て、メフィラスが出て、ラスボス・ゼットンが出て、とストーリーが分断されているんだよね。
だからどうしてもリセット感、話の寄せ集め感がある。
こちらのブログにある、
「総集編」っぽいんだよね、作りが。
って指摘は、ホントにその通りなんだよね。
しかもさあ。
「ニセモノ登場編」は3本の中にはいらない
「ニセモノ登場」は1年のTVシリーズの中にはあってもいいけれど、2時間の映画の中にはいらないなって(笑)。
でもさ、制作側としては、「絶対に入れたいエピソード」だったわけでしょ。
それってファーストコンタクトとか、
「ウルトラマンに対する人間の評価は容易くたゆたう」とか、
さらにはまさに神永への世間の反応がそうであるように・「人間から人間への評価も簡単に変わる」とか、そこら辺のテーマが見えてくるわけじゃん?
それが一切邪魔なんだよね(笑)。
『シン・ゴジラ』の興奮を追体験したい身としては。
メフィラスはまだ見られる。
会話シーンに、趣あるから。
そういや宇宙人が「河岸を変えよう」って言ったのは面白かった。俺、実際には使ったことないわ。河岸を変えよう。
— 坂井哲也 (@sakaitetsu) May 16, 2022
でもザラブ星人が政府上層をたらしこむところとかは、ダルいんだよねえ。
『シン・ゴジラ』は戦闘シーン以外も面白かったのに…
時間経過がおかしいゼットン登場後
ゼットンを「最終兵器」にしたのは良かった。ガンドロワ!
たださ。
あれ、どのくらいの時間が流れているんだろうね。
ツイッターで「ゼットン登場後はカウントダウンがあれば良かったのに」って意見を見かけて(ヤマト?)、それは全くその通りなんだけれど、それをすると別なボロが露出したと思うよ。
ゼットンの火球(ギャグでも使われる・お馴染み1兆度)をなんか良く分からない理論で回避するわけだけれど。
いくら神永から超文明のヒントを貰い、地球上の英知を結集させたとは言え、そんなに簡単に解決するものかね。
この世には何十年も解かれていない問題もあるだろうに、「今までは・人間では手も足も出なかった技術」を、どのくらいの期間で解決したんだろうね? 1日? 1か月? 1年?
短すぎると「そんなバカな」となるし、逆に時間かかりすぎると「ゼットン完成までに時間どれだけかかっているんだ」となるし。
だから、故意にタイムスケジュールはぼかしているんじゃないのかなあ。
故に、盛り上がるはずの「人間とウルトラマンが協力」が、思ったほど胸に迫らないと…
事前に間違えていた点
なんかこれまで不満ばかり書いたようですけれど、定価1900円払って見ても、損する映画ではないですよ。
普通に面白いことは面白いです。
良いシーンもあります。
チェンソー持って駆けつける長澤まさみとか。ウルトラマンの手がニョキっと現れるシーンとか。
TV版を思い出す、赤バックの登場シーンとかね。
「科特隊の存在意義」とか、「ウルトラマンってなんで地球を助けるんだろ?」とか疑問に思っていた人には、1つの答えが用意されているので、そこも真摯ではあるよね。
まあ俺は、そういうのいらなかったんだけれど…
そういや、最後まで見当違いをしていたことが一点あった。
公開前にさ、「カラータイマーがない」ことが(どちらかと言えば批判的に)話題になっていたじゃない?
だから俺、「公開前にグダグダ言うなよ。じゃあシン・ウルトラマンは、『ウルトラマンがカラータイマーを付ける物語』なんだろ」って思い込んでいたんだよね。
全然違った(笑)。
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